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正面がサンマルコ寺院 
右側はドッカーレ宮殿
 

イタリアの北部■■■ヴェネチアはアドリア海に接し、潟に乱舞する中世の街並みはとても風光明媚でした。その景観は世界遺産に登録されており、世界中からの観光客の訪問が絶えないようです。ヴェネチアはその昔も海洋都市国家として大変に栄えていたようです。そのヴェネチアの中心広場に創建されたのがサンマルコ寺院です。(サンマルコ=福音記者・聖マルコ)この寺院を見学して気がつたことは、その作りがビザンチン様式であることでした。



今も輝き続けるモザイク画
他の教会に良くあるフレスコ画ではない!
写真の上でクリックすれば大きな写真になります。
 


ローマ・カトリックの総本山があるイタリアで何故ビザンチン様式、すなわちギリシャ・正教会様式の教会をローマ・カトリックの法王が良く創建許可したものよと不思議に思ってました。現地への旅行でその謎がとけました。
 
海洋都市国家であったヴェネチアはアドリア海の出口にあるギリシャ、その先のビザンチン帝国(=東ローマ帝国、首都はコンスタチノープル、現在のトルコ・イスタンブール)などとの交易により巨万の富を得ていたようです。覇権はアドリア海に留まらず地中海にも及んでいたそうですね? 

当時は聖都エルサレムをイスラムから奪還するため、ときのローマ法王は[神はそれを望んでおられる]との名目で聖都奪還に十字軍を派遣しておりました。その軍団一行を中東に輸送するためにヴェネチアの海運が積極的に関与していたそうです。超経済大国であり、そして十字軍への援助を惜しまないヴェネチアにローマ法王は一目置いていたと考えます。

そのような歴史的背景があり、合理的なヴェネチアはカトリック教国でありながら潟の気候風土に適し、そして友好国のビザンチン帝国(=東ローマ帝国)にも敬意を表して、あのサンマルコ寺院を創建したものと考えます。

気候風土に適したとの理由とは? 続きは別の機会に記載させていただきます。

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